その昔、「人は生まれた時に木のたらいで産湯につかり、死んだときに木の棺に入る、その間も木に寄り添った生活がある」と言う話があったそうです。
「木」は、私たちの生活の中に無くてはならない存在でありながら、木を使う本来の意味が忘れ去られ“便利”、“機能的”と言われる、新しい素材に移行しています。
それでも依然として「木」が私たちのまわりをとりまき、生活を豊かにしています。
しかし「木」は、目にしているだけで心を落ち着かせる効果がありますので、中身が偽物であっても構わない、かえって扱いやすいなどの考え方も蔓延しています。
本当にそれで良いのでしょうか?
偽物と分かった途端、愛着も薄れ、安らぎ効果もなくなり、扱いも雑になる、大事に使ったとしても長持ちしません。結果、ごみとなります・・・
先人の知恵により、理にかなった利用がなされてきた「木」の良さを見直す時期が来ています。
そして、語り継がれてきた「木は良い」の本当の意味を知ることが大切です。
「木」は、あまりにも身近な存在過ぎて、誰もが「知っている!」つもりでいることが難題です。
我々建築業界の人間でも、間違った解釈や、情報の発信をしてしまいがちです。
「樅」と言う一本の木と向き合うことで、忘れ去られていた「木」への信仰とその意味を改めて知ることとなりました。
我々住宅を供給する側の人間が、「木」と言うものを真摯に理解し、正確な情報を発信することが求められているはずです。しかし、現状は残念ながら違います。“プロ”と言われるが故に、自身の持つ知識に溺れ、疑問を抱くことさえ忘れてしまった人がたくさんいます。
直接的には、家造りと何の関係も無い様な話ですが、知っているか否かで大きな違いが生じてしまう大事な話しです。少し難しい話しもありますのですぐに忘れてしまうかもしれません。この先、何かのきっかけで思い出した時に、ここへ戻って改めて読み返してください。